2009年12月17日

印刷技術の発明者をめぐって

グーテンベルクの生存中のもので彼の名前に言及した資料はまだ見つかっていない。彼の名前が印刷技術と結びついて初めて現れるのは1472年の書簡でソルボンヌ大学教授ギョーム・フィシェ がロベール・ガギャンにあてた個人的なものであった。そこには「マインツ市の近くに住むBuonemontano(ラテン語で「良き山」の意味でグーテンベルクという言葉をラテン語にしたもの)という姓を持つヨハンなる男が印刷術を発明した」とある(折田洋晴、「インキュナブラの世界」、p15および富田修二、「グーテンベルク聖書の行方」、p80)。

1499年に印刷された『ケルン年代記』は「印刷術はマインツで発明され、1444年頃ケルンに伝えられた。印刷術の発明者はヨハン・グーテンベルクと呼ばれた」と書いているが、『ケルン年代記』が「印刷技術の原型はオランダからドイツに伝えられた」とも書いていることから、一時期印刷技術はオランダから始まったという説がさかんに唱えられた。グーテンベルクは印刷事業では成功しなかったことから彼の名前が忘れられ、ヨハン・フストとペーター・シェッファーが印刷術の創始者と考えられたこともあったが、ペーター・シェッファーの息子ヨハンは自ら印刷したリヴィウスの『ローマ史』の献呈の辞に印刷術の発明者はシェッファーではなくグーテンベルクであることを明記している。

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印刷技術の発明者が誰であるかということをめぐってはさまざまな説が流布してきた。特に16世紀から18世紀までに書かれた多くの「歴史書」は歴史的真実よりも自国のプライドや著者の主張が優先されることが多かったため、研究者の視点から見ればお粗末なものであっても、印刷術の発明者をめぐる問題を混乱させることになった。

たとえば1568年に出たオランダのハールレムの医師アドリアン・ユニウスの著作『オランダ年代記』は、グーテンベルクの活版印刷術はもともとオランダ人ラウレンス・コスターが1442年に発明したものであり、マインツのヨハン・ファウストス(グーテンベルクとフストの名前が混合したもの)なる人物がコスターからその技術を盗み出したと記した。

2009年12月01日

天丼

天丼(てんどん)とは、丼飯の上に天ぷらを載せた丼物の一種。重箱に盛りつけたものは天重(てんじゅう)とも呼ぶ。
天ぷら丼(てんぷらどんぶり、てんぷらどん)が略された物であるが、現在は天丼と言う名称が一般的になっている。
最も一般的な調理法は丼飯に数種類の天ぷらを載せて甘辛い丼汁(タレ)をかけた物であるが、タレをかけずに天ぷらを軽く煮付けてのせるものや、塩をかけるものもある。タレには主に、出汁・醤油・みりん・砂糖などをあわせたものが使われる。
天ぷらの専門店や蕎麦屋で多く食べられる。蕎麦屋の丼物のなかでは最高級であることも多い。
なお、天丼は三定(創業天保8年:東京都台東区浅草)がはじまりと言われている。現在は海老・白身・掻き揚げの天婦羅を丼飯の上に載せ丼汁をかけた天丼である。

天ぷらの具は材料に制限が少ないため、その種類は非常に多いが、海老・烏賊・穴子・鱚などの魚介類の天ぷら数種に獅子唐・南瓜・薩摩芋などの野菜天を数種添える事が多い。主となる天ぷらの種類によって「海老天丼」「穴子天丼」等と呼ぶ事もある。
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精進天丼
野菜の天ぷら(精進揚げ)のみを載せた天丼。野菜天丼とも。
掻き揚げ丼
名前の通りに掻き揚げを載せた天丼。
天玉丼(または天とじ丼)
天ぷらを親子丼やカツ丼などのように、甘辛いタレで煮て卵でとじたもの。
コントなどにおいて同じことを2度またはそれ以上繰り返すことで滑稽な効果をもたらすことを天丼と言う。 天丼に海老が2本のっていることが元になっていると言われている。

2009年11月27日

偶像崇拝

偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)とは、神像、カリスマ的な人間の像、超常的な自然構造物などの偶像を崇拝する行為のこと。その行為に対する否定の気持ちが込められた表現である。
釈迦自身は、偶像崇拝を明確に否定したわけではなく、また反対に肯定をしたわけでもない。

もともと、釈迦が出世した当時のインド社会では、バラモン教が主流で、バラモン教では祭祀を中心とし神像を造らなかった。当時のインドでは仏教以外にも六師外道などの諸教もあったが、どれも像を造って祀るという習慣はなかった。したがって初期仏教もこの社会的背景の影響下にあった。

また、初期仏教は宗教的側面もあったが、四諦や十二因縁という自然の摂理を観ずる哲学的な側面が多分にあったという理由も挙げられる。

仏教ではこの理念を主とした。したがって、釈迦本人に自身が根本的な信仰対象であるとか、ないという概念そのものが存在しなかった。これらの理由から、初期仏教においても当時の他の宗教と同じく、仏像というものは存在しなかった。

ただし、どのような行為を偶像崇拝とみなすかは宗教によって見解が分かれるようになった。礼拝対象を像そのものと見るか、像の表現するものと見るかで、偶像崇拝かどうか判断がわかれるからである。
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概論を述べるならば、ユダヤ教・イスラム教は前者の立場(礼拝行為の対象を像そのものと見なす)をとり厳しい態度を示す。キリスト教は一般に後者の立場(礼拝対象は像の表現するものと見なす)を取り、聖像を許容する傾向があると言えよう。
だが、各宗とも教派によっては異なった解釈をすることがある。すなわち、ユダヤ教やイスラム教においても、かならずしも聖像が全否定されるわけではなく、例えば紀元前後のユダヤ教はシナゴーグ装飾において自由な描出を許していたことで知られ、またイスラム教のシーア派などでは聖像使用に寛容な傾向がみられる。

2009年11月13日

アイルランド貴族たちの要求を棄却した

貴族院は、アイルランド貴族たちの要求を棄却した。リード卿(常任上訴貴族)は連合法に基づいて判断を下した。その連合法では貴族代表は「アイルランドの一部」を代表しているとしていた。彼は、アイルランドは、アイルランド共和国と北アイルランドに分割され、そのため、現在、貴族代表が代表すべき「アイルランド」と呼ばれる政治的な組織はもはや存在しないからであると述べた。リード卿は「もし、ある法の制定によって、ある事柄が機能するために不可欠な要素の連続性が終わっているのであるなら、その事柄に関する法律の条項は暗黙のうちに廃止される」と書いている。

ウィルバーフォース卿(もう一人の常任上訴貴族)は連合法のような主要な法の制定は暗黙のうちに廃止できると言う点に同意しなかった。彼はその代わり、貴族代表の選出に関して記載の無い、1921年のアイルランド共和国法がアイルランドの大法官の廃止とアイルランド王の記録官の廃止を行ったと言う部分について言及した。アイルランドの大法官は貴族代表の選挙を宣言する責任があり、アイルランド王の記録官は貴族に投票用紙を送付する責任があった。これらの地位が廃止されたため、アイルランドの貴族が選出される機構がなくなったのだとウィルバーフォース卿は主張した。ここでも、要求は退けられた。
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請願を行った者は北部アイルランドが連合王国の一部として残っている点を指摘しなかった。リード卿の反対意見はその後、反論され、貴族代表が北アイルランドの一部の代表として参加することになった。同様に、アイルランドの大法官とアイルランド王の記録官が北部アイルランドのものに置き換えられることにより、選挙方法がなくなったことに関するウィルバーフォース卿の意見も満たすことができた。「バークの貴族制・男爵制」では、北アイルランドに関連した主張は以下の内容である。

2009年11月02日

消費者側の対応

消費者は国民経済における最大の集団であるにもかかわらず、組織化されていなかったため、事業者に対して発言する力を持たず、意見も聞いてもらえず無視されるというような弱い立場に長らく立たされていた[76]。企業が製造した商品の欠陥により消費者に被害が発生しても、消費者側から損害賠償を申し立てることは実際上非常に困難であった。

日本でも第二次世界大戦後の1945年に主婦らが「おしゃもじ運動」を起こすなどして消費者運動が始まった。1960年頃の高度経済成長の時期になると様々な消費者問題が起き、その後「消費者保護基本法」が制定され、ようやく産業優先の考え方から消費者優先の原則へと移行し、消費者保護の基本的方向が示されることとなったのである。
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1970年に消費生活センターが開設された当時、消費者の最大の関心事は食品の安全性であった。当時、牛乳のBHC汚染、発がん性が問題となったフリルフラマイド(AF2)やチクロなどの食品添加物、魚の水銀汚染などの問題が発生していた。 1970年?79年までに寄せられた相談の件数でも食料品の相談が1位を占めている。食品添加物や健康食品などに関する相談が多かった。

昭和60年代(1985年?)になると、消費生活が多様化・複雑化し、消費生活センターへの相談としては、住居品、教養娯楽品、保健衛生品などの相談件数が増加し、食料品の問い合わせ件数は3位になった。ただし、食料品の相談件数はほぼ横ばいで、減ったわけではなく、他の問い合わせが増えたのである。

2009年10月23日

廃墟

廃墟(はいきょ、廃虚は代用表記)とは、建物や施設、鉄道、集落などが使われないまま放置され、荒れ果てた状態になっているものを指す。

建物、施設などが使われなくなったとしても、他用途に転用され、適切な維持管理が続けられていたり、あるいは更地になっていれば、廃墟とはいえない。跡地利用も難しく、管理を続けるのも困難な場合には、建物、施設などが放置に任され、歳月とともに朽ちて崩壊し、あるいは草木に覆われて廃墟化の過程が進行する。

建設を発注した企業が倒産した、あるいは公共事業の一環として建設されたがその公共事業が中止になったなどの理由で、建設中の状態のまま放棄され、全く使われてない建築物もある。これらも廃墟に含まれる。

三毛猫
枝豆の暮らしの営み
時計草
七色の虹
終わらない冒険
渋谷でスポーツ杯
春菜の嘘も方便
小さなつぼみ
小夜の器用貧乏
笑い虫
心愛のティータイム
新しい未来へ
真弓の政治に注目
人生のハードウェア
世界バリバリ
アヒル隊長
日本の物語
あの付く言葉
熊本の湯めぐり
太陽のお話
ナチスの強制収容所跡や広島の原爆ドーム、ハワイの真珠湾のアリゾナ (戦艦)などある時代の悲惨な状況を後世に伝えるため、破壊あるいは放棄され廃墟同然となった状態で意図的に当時のまま保存している例もある。

かつて19世紀後半、イギリスやドイツのロマン主義でも、こうした廃墟、特に古代ギリシア、ローマのそれに関心が集まり、競ってその方面に出かける文人やそうした古代遺跡を版画や絵画に描いたり、あるいは君主の中には領地の中に故意に人工の古代の廃墟を配した庭園を作らせたものもいた(特に古代ローマ時代の様式が好まれた)。

2009年06月22日

バイオインフォマティックス、生化学

DNAの塩基配列データがゲノムプロジェクトの進展に伴い爆発的に増えたため、情報学的な手法を用いて生命現象の仕組みを理解しようとするバイオインフォマティクス研究が進展している。他方、ペプチド断片のアミノ酸配列解析技術も進歩し、これにゲノム解析の成果を組み合わせて関連遺伝子を検索するプロテオーム解析も可能となった。1990年代にはタンパク質のアミノ酸配列は精製して解析するより遺伝子の塩基配列から推定する方が早いという認識があったが、一概にそのようには言えなくなっている。

タンパクを扱っていた生化学については、一時 "衰退産業"のように言う者もあらわれ、「DNA解析さえすれば"全て"がわかるのだ」という風潮も一部にみられた。これに反して、タンパク質のアミノ酸配列(ポリペプチド)が判るだけでは不十分という声があがり、1990年代の大学の授業では公然と分子生物学を一方的に非難する不毛な議論が旧帝国大学を中心に盛んに繰り返された[要出典]。しかし、分子生物学的な手法による蛋白質の機能解析が多大な知見をもたらしたことは疑いようがない。 現在ではDNAのメチル化やアセチル化、タンパク質のユビキチン化やリン酸化、多糖類、脂質などによる修飾がその機能に寄与していることが明らかにされ、また、生体内でのタンパク質の性質や相互作用を理解する上で分子生物学的手法が重要であると認識されている。生化学者と分子生物学者の間で研究手法や知見の共有化が進み、両ジャンルの境界はあいまいになってきている。
四季の山野草・高山植物情報
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メタボリックシンドローム
ミュージカル

オカルト

「構造のないモノクローンな細胞系」分野から始まった分子生物学的研究では「素材の分子がすべてわかった」としても生物を「理解した」ことにはならないとの批判もあった。中でも、発生や脳などの研究分野においては分子生物学による解明が遅れたために、その批判が特に激しかった。しかし現在では、脳のように細胞間連絡のようなマクロ構造や電気的情報処理が重要な研究対象の機能解明についても、分子生物学的なアプローチが不可欠である。神経解剖学、神経生理学、脳機能画像研究などで分子生物学的手法に基づく成果が多く出ており、分子レベルでの機能の解明を認めない古典的な考え方は失当である。

2009年06月04日

先進国(せんしんこく)とは、高度な工業化を達成し

先進国(せんしんこく)とは、高度な工業化を達成し、技術水準ならびに生活水準の高い、経済発展が大きく進んだ国家のことを指す。後進国(現在では開発途上国又は発展途上国、途上国の方が一般的)に対して、先進国と呼ぶほか、先進工業国、富国、中進国、高所得国などとも呼ばれることがある。

先進国とは技術で先を行き、比較的豊かな国々をさす。大国(超大国を含む)と同義の使われ方をすることもあるが、先進国は国の規模より経済力に重点を置いた場合であることが多い。対義語は発展途上国。(後進国という呼び方は侮蔑的とされ使われなくなった。)

主要先進国として日本、アメリカ合衆国、カナダ、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアの、ロシアを除いたG8(G7)加盟国が挙げられる。北米、西欧、北欧の国々に多く、全体的にみると北半球の国に多い。そのため、主に南半球に多く分布する開発途上国との摩擦は南北問題と表現される。
新築 生活習慣病 自動車 外国語 古着 通信教育 交通地図 美容整形 遊園地 メイク キャッシング 仏壇 弁護士 懸賞 わきが 家電 アロマ アクセサリー 生涯学習 北海道東北 英会話 観光 ネイル 金融 しみ取り 建売 子育て アロマ 実益 美容整形 衣料 音楽 アロマ リサイクル 教材 国内 資格 九州沖縄 ケア 信託 建売 老人 バイク アロマ 生活 美容整形 文房具 専門学校 スポーツ セミナー

先進国の定義は曖昧である。先進国になる明確な基準が無いため、日本においてはG7のみを先進国と考えている場合がある。国際機関によっても異なるが、国際社会では「先進国クラブ」とも呼ばれている経済協力開発機構 (OECD) 加盟国を先進国として扱う傾向にある。日本は1964年に加盟した。日本は1955年にGATT加盟をしており、GATT加盟からOECD加盟までの期間が9ヶ年というのは極めて短く、日本の高度経済成長がいかに稀なものであるかが伺える。1993年に人間開発指数というものが登場し、国の発展度を計る際に用いられる。

2009年05月01日

豊臣秀頼

豊臣 秀頼(とよとみ の ひでより/とよとみ ひでより)/羽柴 秀頼(はしば ひでより)、は、安土桃山時代から江戸時代前期の大名。

幼名は拾丸(ひろいまる)。父は豊臣秀吉、母は側室の茶々(淀殿)。子は側室和期の方(名は伊茶。渡辺氏)との間に国松と、小石の方(おいわのかた。成田氏)との間に天秀尼(生母については異説有)。官位は正二位右大臣。

乳母は宮内卿局、右京大夫局(一説に両者は同一人物とも)、正栄尼が伝わる。また、母・淀殿の乳母である大蔵卿局も姥(養育係)を務めた。

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文禄2年(1593年)、秀吉57歳のときの子で、大坂城で生まれたとされているが、秀吉の他の大勢の側室に子ができなかったことから、当時から秀吉の実子ではないのではないかとの噂が絶えなかった(後述)。

文禄4年(1595年)、秀吉から養嗣子として関白職を譲られていた従兄で義兄の豊臣秀次が失脚して切腹したため、秀頼が豊臣氏の後継者として伏見城で育てられた。秀吉は晩年に秀頼を補佐するため五大老・五奉行の合議制を整え、慶長3年(1598年)に死去したため、秀頼は家督を継ぎ大坂城に移った。

秀吉死後には五大老の徳川家康が影響力を強め、さらに豊臣政権内でも対立が起こり、五大老の前田利家の死去、七将襲撃事件に伴う五奉行・石田三成の失脚などで豊臣政権は家康が主導する形となる。

2009年04月17日

ニザーミー

ニザーミー・ギャンジェヴィー(ペルシア語で Ni?āmī Ganjavī, アゼルバイジャン語で Nizami G?nc?vi, 1141年-1209年)はペルシア人の詩人。10世紀から15世紀末にかけてのペルシア語文学古典時代における最も著明な詩人のひとりであり、ペルシア語ロマンス叙事詩において恋愛・悲恋文学に神秘主義詩の要素を織込み独自の境地を開拓した。

本名は、ジャラールッディーン・アブー・ムハンマド・イルヤース・イブン・ユースフ(Jalāl al-Dīn Abū Mu?ammad Ilyās Ibn Yūsuf)。現在のアゼルバイジャンのギャンジャで生まれる。父親は現在のイランのコムの出身とも伝えられ、母親ライーサはクルド人であったという。生涯に三人の妻を娶り、ダルヴァンドの王より下賜されたキプチャク出身の女奴隷でアーファークという女性を妻として迎え、これを熱愛したことがのちの作品群に大いに影響を与えたという。ムハンマドという男児を儲けたことが作品中に語られている。ニザーミーの生地ギャンジャをはじめとするアッラーン、アーザルバーイジャーン地方は、セルジューク朝系のアタベク政権エルデニズ朝の支配下に有ったが、ニザーミーはタブリーズのエルデニズ朝などの各地の宮廷に詩を献呈したものの、生涯、生地のギャンジャを愛して離れずこれらの宮廷に仕えることは無かったという。

代表作は、五編からなる長篇叙事詩、『五部作』(ハムセ Khamse)または『五宝』(パンジュ・ガンジュ Panj Ganj)と呼ばれる作品群で、それぞれガンジャ周辺の王侯貴族たちに献呈された物である。これらの作品群のうち、『ホスローとシーリーン』、『ライラーとマジュヌーン』などは後世に挿絵本が流布するなどペルシア語文学や絵画に大きな影響を残している。
約30,000の対句(バイト bayt)から成るマスナヴィー詩形の五部作『ハムセ』(Khamse)がもっとも有名。

『マフザヌル=アスラール』 ( Makhzan al-Asrār) (神秘の宝庫)
約2,260句からなる神秘主義詩。高名な神秘主義詩人サナーイーの代表作のひとつ『真理の園』(ハディーカトル=ハキーカ ?adīqa al-?aqīqa )に倣って作詩され、アナトリア東部エルズィンジャンの君主、マングージャク朝のバフラームシャー・ブン・ダーウードに献呈された。1176年頃作詩。
『ホスローとシーリーン』 Khusraw wa Shīrīn)
約6,500句からなるサーサーン朝の君主ホスロー1世とその妃となるアルメニアの王女シーリーンとの悲恋を描いたロマンス叙事詩。ペルシア語文学史上の傑作のひとつと評される。アーザルバーイジャーン地方一帯を治めたアタベク政権エルデニズ朝の当主ジャハーン・パフラヴァーンとクズル・アルスラーン兄弟およびセルジューク朝最後の君主トゥグリル3世に捧げる讃辞が詠まれている。1177年から1181年の間に完成した。
『ライラーとマジュヌーン』 (Laylā wa Majunūn)
約4,500句からなる。アラビア半島のナジュド地方のベドウィンの若い男女の悲恋を描いたロマンス作品。ベドウィン首長家の姫君ライラーと、彼女を恋焦がれて求めるあまり狂人(マジュヌーン)となった同じくベドウィンのアーミル部族長家の貴公子カイスを主人公として、その悲劇を描く。高名な頌詩詩人ハーカーニーの庇護者であったシルヴァーン・シャー朝の君主アフサターンの依頼に応じて作詩された。1181年作詩。
『ハフト・パイカル』 (Haft Paykar) (七王妃物語)
約5,130句からなり、サーサーン朝の君主バフラーム・グールことバフラーム5世(在位420年 - 438年)を主人公とするロマンス叙事詩。バフラーム・グールと世界中から選び抜かれ彼に嫁いだ七人の王妃との物語り。ニザーミーがこの詩を捧げた「スライマーン」とは、マラーゲのアタベク政権アフマディール朝の君主アラーウッディーン・クルプ・アルスラーンのことであると考えられる。
『イスカンダル・ナーマ』 (Iskandar Nāma) (イスカンダル(アレクサンドロス3世)の書)
イスカンダル・ズルカルナインことマケドニアのアレクサンドロス3世の生涯を描いた叙事詩で、『栄誉の書』(シャラフ・ナーマ)と『幸運の書』(イクバール・ナーマ)の前後2部からなる。
第一部『栄誉の書』(シャラフ・ナーマ Sharaf Nāma)は約6,500句からなり、イスカンダルの誕生から諸国征服までが描かれ、偉大なる世界征服者としてのイスカンダルを主題とする。1196年から1200年までに作詩された。
第二部『幸運の書』(イクバール・ナーマ Iqbal Nāma )は『英知の書』(ヒラド・ナーマ Khirad Nāma )とも呼ばれ約3,700句からなり、預言者、哲学者としてのイスカンダルを描く。イスカンダルの帝王としての英知やアリストテレスなどの哲学者たちとの対話を主題とする。1200年から死の直前までに完成した。
また、1188年に編まれた、頌歌と詩から成る詩集が知られている。

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